kenwan娘のラテン語講座 その2

Vesuvius_from_Pompeii.jpgポンペイの遺跡から見たヴェスヴィオ山

さて、昨日の続きである。

「小プリニウスさんがそのお友達、とある結構有名な歴史家タキトゥスさんにヴェスヴィオ火山噴火の際に死んだその叔父、大プリニウスさんの最期を教えてくれ、と言われて書いたお手紙」
についてのkenwan娘による解説の続き。

640px-Como_-_Dom_-_Fassade_-_Plinius_der_Jüngere小プリニウス(ガイウス・プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス)像 彼の生地北イタリア、コモ市のサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂正面より


properat illuc, unde alii fugiunt, (…)

「そこへ急いだ、他の人たちが逃げ出した場所へ」

ここで豆知識。
properat(プロペラト)とは、急ぐ、と言う意味ですが、英語にも(というか日本語?)似たような言葉がありますよね?
そう、プロペラ。でもこちらの(英語の)綴りは、propellerとなっています。
ので、(真実はちょっとわからないですけど)多分ここで使われているproperareという動詞とは関係なく、もう一つのpropellere(突き放す)という動詞から来ているのではないかと思います。
発音もちょっと違うんです。急ぐ、はプロペラーレ。突き放す、はプロペッレレ。

そして大プリニウスさんは全く恐れぬまま、色んな情景を見たままに、横にいる書留役に口述してゆきます。しかし、本来降り立ちたかった岸辺は岩が山から転げ落ちてきていて、船を泊められない。
ここで彼は一瞬、引き返すべきではないか、と考えるのですが、しかしすぐに舟人にこう呼びかけます。

„fortes“ inquit „fortuna iuvat; Pomponianum pete“
「勇気ある者には」と彼は言った「運が味方につく。ポンポニアヌスの元へ向かえ」

そう、fortesが勇気ある者。多分音楽用語のフォルテとも繋がってるんじゃないかな。
fortunaは、みなさんご存知、フォーチューン、ですね。恋するあれです。(笑)
私の側に置いてあるバージョンでは、Fが大きく書かれてないので、とりあえず擬人化されていないものと考えます。ちなみにこの言葉、イコール幸運と考えがちですが、不運という意味もあるんです。良いものも悪いものもひっくるめて、fortuna、な訳ですね。

ということで大プリニウスさんたちはポンポニアヌスさんがいるスタビエへ向かうわけです。そこで彼はもう、色々な物を船に乗せ、海の状況さえ良くなればすぐにでも出立できる準備をしていました。大プリニウスさんはそこへ(なにせ出立するのと着陸するのとでは違う風向きが必要なものですから)降り立ちます。そしてそこで怯えているポンポニアヌスを抱きしめ、大丈夫だよ、と行動で見せるためにお風呂に入ったり、食事をとったり。そんなこんなしている間にヴェスヴィオから炎の柱のようなものがボオボオ飛び出ますが、大プリニウスは、へっちゃらへっちゃら、農民たちがびっくりして自分たちの家を燃やしちまったんだろうよ、と宥めます。それだけでなく、他のみんなが早く風がいい具合に吹いてくれないかなぁ、とドキドキしながら夜を徹している間、なんと深い睡眠を貪ったりさえします。
しかし流石にこれ以上ここにいたら家から出れなくだろうという判断で、みんなはもうちょっと海へ近づいて、船を出せる時を今か今かと待つことにします。

iam dies alibi, illic nox (…)(fuitを付け足して考える)
「もう他では真昼間、しかしその場所は夜(つまり真っ暗)(だった)」

ここで豆知識。
alibiとは「他は」というような意味なのですが、似たような言葉がありませんか?
そう、英語のアリバイ。つまりは多分「違う場所にいた=アリバイがある」みたいなことかなぁと思ってるんですが、裏は取ってません。
(発音は、(少なくともドイツ語圏では)アリビィ、です。こっちの方が可愛いでしょ)

しかしその岸辺をも有毒ガスや炎が襲います。
そして大プリニウスさんはその有毒ガスにもとから悪かった呼吸系器官をやられて死にます。
そこいらがまた明るくなった時、その体は、まるで何もなかったかのように、まるで寝ているかのような姿で見つかったと。
Vesuvius_from_plane.jpgヴェスヴィオ山火口の航空写真


まあそんな事を綴り、最後に「そして私と母は……ああ、でもこんな話は君には面白くないだろうね」という壮大なるフラグを立てて小プリニウスさんはその手紙を終わるのですが、(無論タキトゥスさんからは「そんな馬鹿なことは全くもってないよ是非とも是非とも君の体験した話をどうぞお願いだから聞かせておくれプリーズ」という返答が来たらしく、それへのお手紙もあります)

この手紙が結局何を描写しているのか。

タキトゥスが欲したのは、「大プリニウスの(最期の)描写」です。
本来(今となってはそういう意味合いもあるでしょうけれど。だって他にあんまり文献がないみたいなんだもん)ヴィスギオ火山の噴火を描写しているのではないのではないかと思います。
甥として、まあ多分叔父の賛美を書いているのではないでしょうか。

具体的にどこが大プリニウスさんの凄いところなのか。

それは、ストーアの哲学に則って行動しているところです。正直そんな場合じゃないのに、お風呂入ったり、食事したり。寝たり。ストーアの哲学というのは、何事にも動じない人間を一番偉いと称えます。動かざること山の如し、だからすごいのです。死への恐怖よりも、友への義務を優先する人間だからすごいのです。死を恐れないから、すごいのかもしれません。

でもなんだろう、やはりこの考え方は、私には違和感があります。
だって、死ぬのは怖いじゃないですか。いやじゃないですか。
確かに、そういうことしてる場合じゃないのに、全然とんちんかんな行動をしてるのはかっこいいかもしれない。私も某国取物語で描写される桶狭間前の信長はかっこいいなと思いました。
だけどあの信長は、その後逆転勝利をするからすごいなと思えるのです。

死んじゃったら、元も子もないじゃないですか。
いくら名声が残っても。

ふと、前々期あたりに作った哲学まとめに目が行きました。
古代ギリシャの哲学(アカデメイア派とか、ストーア派とかエピクロス派とかありますが)とは、どんな時にできたのか。
それは、ポリス、という、まあ言ってみれば村というか町というか、そういうまとまりが崩れつつあった時代にできたのだとか。一人ひとりが、自分のヘゲモニア(幸せ?と訳してはならない、と書いてありますが……まあ、そんなものでしょうか)を追い求めよう、という形で出来上がったもののようです。
個人主義ですね。

集団主義が芽生えつつある時に生まれる哲学、というのはまた違うものなのでしょうか。

でももう疲れたから、今日はここまでにします。


と、まぁ・・・
誠に尻切れトンボな終わり方である。
ともあれ、娘の長文をここまで読んでくださった方には感謝申し上げたい。




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