今日の一枚11)初代広重 名所江戸百景の内「両国花火」(kenwan編)

Portrait_à_la_mémoire_dHiroshige_par_Kunisada 1858年 62歳の初代歌川広重

「今日の一枚 8)」で広重について書いてから、再び私の中で広重が気になり出した。
広重と言えば「東海道五十三次」が有名だが、晩年の「名所江戸百景」はまさに名作ぞろいの全百十八景の風景画集だ。
今私の手元には二冊の「名所江戸百景」の画集が有る。
一冊はこれ

1996年初版で、すでに絶版だけれどご覧のようにAmazonで古書が購入可能だ。
私はまさに1996年に日本で購入した。
この本の良い所は、なによりも現在の東京の地図と当時の地図を図版の隣に掲載し、それぞれの図版が現在の東京の何処からどの方向を向いて描かれているかを提示していることだ。
それによって、東京という町の凄まじいほどの変わりっぷりと、その奥に潜む変わらなさぶりを味わうことができる。
ただ、非常に惜しい事なのだが、この本に掲載されている名所江戸百景の図版が、全て「後摺り」という事だ。
全ての浮世絵版画には、「初摺り」と「後摺り」の二種類がある。
例えば、これをご覧いただきたい。
C0013430.jpg東京国立博物館所蔵 初代広重 名所江戸百景の内「両国花火」
jpegOutput_201502090700107aa.jpeg国立国会図書館所蔵 初代広重 名所江戸百景の内「両国花火」

どうだろう、どちらも初代広重の「名所江戸百景」の内の「両国花火」だけれど、最初の東京国立博物館所蔵が「初摺り」で、後の国会図書館所蔵が「後摺り」だ。
同じシリーズの同じ版画なのにどうしてこんなに違うのか?
それは浮世絵版画というものが、絵師、彫師、摺師、さらに注文主も加えた四者による共同作業による作品という事が大きく関係する。

普通に考えると、絵師が描いた彩色豊かな原画を元に彫師が版木を彫り、その版木を使って摺師が紙に印刷する、というふうに考えるが、実は絵師が描いた「原画」といのは存在しない。
絵師は線描きだけを書いた版下絵というものを描くが、それは線描きのための版木に糊貼りされて、彫師によって版木とともに彫刻刀で削られて無くなってしまう。
ではどうやって色鮮やかな錦絵にしていくのか?
それは、絵師の指示によって、彫師は版木の彫り方を工夫し、摺師は絵の具の色調整や摺り方の工夫によって、浮世絵を、絵師の理想とする作品に近づけていくものなのだ。

特にこの名所江戸百景は広重の死の二年前からその直前まで制作が続けられたもので、出版されるや大好評を得て、彼の死後も一万から一万五千部の後摺りを要したが、これら後摺の場合は、経費節減のために色数を減らし手間のかかるぼかしを省略してしまうのである。
上の二つの図版をご覧になってもお分かりいただけると思う。
初摺りの方は、当時の木版画の技術を駆使して、夏の夜の隅田川の雰囲気や華やかな花火の姿をできる限り表現しようと努力している様がありありと分かる。

ちなみに、この「両国花火」の現在のお値段、初摺りが二千万円、後摺りが二百万円、というのが相場だそうだ。

つづく



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