ヴィザの思い出

DSCN8204.jpg本文と関係なく ウィーン旧市街にあるカフェ

友人が、毎年恒例のヴィザの申請に行ったら
また、法律が変わって、用意しておいた書類ではダメで
出直さなくてはならない、と

憂鬱そうだ。

DSCN8173.jpgこちらも本文と関係なく、旧市街ブルットガッセ ここを入ると素敵な中庭がある

日本に住んでいる外国人も
きっと大変なんだろうけれど

私たちは、日本に住んでいたら
こういう苦労はせずに済んだのに

好き好んで海外に出張ってきたものだから

しなくていい苦労をするハメになる。

うちは、運良く13年前に永久ヴィザが取得できたので
それ以後、この苦労は無くなって、本当に有難い。

これは、経験した方でないと、なかなか分からないと思うけれど

Kenwanは、申請に行く日や、呼び出された日には、
必ずお腹を壊していた。

私たちは、夜中の3時半から並んで、お昼の11時頃に係官にやっと会えたのに
(当時、ユーゴが崩壊して移民が溢れ、その上、管轄が警察から市役所に変わって
ものすごく混乱していた)

用意した書類の中に英文のものがあり
(だってインターナショナルな言語可とあったので英文で用意したのだ)

それで、ドイツ語が付いていないとダメです、また、どうぞ、と1分で追い返されたことがある。

勿論、次のアポもくれない、また、並ばなくてはならない。

この時は、以前にも書いた、当時親しくしていたオーストリア人の方に助けてもらった。

彼が電話をしてから一緒に出向いてくれて

7時間以上も待たされて、挙句に次のアポもくれずに追い返したことを
非難した上で

同じ英文の書類を見せて

「これ、わかりますよね?」

と彼が言うと、

「はい、わかります」

それで通った。

因みに彼は、ドクターの称号を持っている。
(オーストリアでは、いろいろな場面で幅を効かせられる称号だ)

また、娘が生まれる直前の一週間
母を亡くしたばかりの私は、臨月のお腹で
毎日外国人警察へ通ったこともある(Kenwanももちろん一緒に)

オーストリアの健康保険と年金に加入し
税金もこちらで払うようにし
預金通帳にもそれなりの残高があり
アパートの賃貸契約もきちんとしているのに

それでも、あれこれ難癖をつけ
担当を替えたりして(また最初からやり直さなければならない)
なかなか出そうとしなかった。

終いには、ここで陣痛が始まったら、どうしよう、と思って

私、今週予定日なんだけど?

と言ったら、え、来月だろ?

って、母子手帳もコピーして提出してるのに!

一緒に付いて行ってくれた友人が

もう震えながら

あなたとは、これ以上話したくありません」と

っていたのをよく覚えている。

次の日だったか、やっと出してもらえて
嬉々としてグラーベンでお茶をして
帰宅した晩に陣痛が来た。

娘は、よく待ってくれた。
または、亡き母が、うまく取り計らってくれたのかな、
とKenwanと話したものだった。


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